ブータン紀行・叶芳和さんの論文です。
昨日アップできなかった叶さんのブータン紀行を再アップいたします。
Webサイト『みんなの株式』(記事コラム)2011年12月22日rr ブータン紀行
【著者】叶 芳和 2011年12月22日
ブータン紀行
‐HAPPINESS偉大な実験国家‐
ブータン・ブームが日本を駆け抜けた。来日した国王夫妻の魅力がその背景だが、じつは世界中がブータンに注目している。「国民総幸福量(GNH)はGNPより大切である」という国家開発ビジョンが注目を浴びている。「国民総幸福量」の最大化を目指しているが、経済発展も重視しており、一人当たりGDPは2000㌦、周辺諸国より格段に高い。なぜ、こういう国家が出来たのか。
今回のブータン行は、経団連自然保護協議会の視察ミッションに参加したものである。
1、ヒマラヤ3兄弟
ブータン王国はヒマラヤ山脈の南麓に位置する人口70万人の小国である。かってはヒマラヤ南麓に3つの王国があった。ネパール、シッキム、ブータンである。シッキム王国は消滅し(1975年インドに併合)、ネパールは2001年に王族殺害事件、そして2008年に王制廃止になった。いま健在なのはブータン王国だけである。
シッキムとブータンは、兄弟みたいな国である。両王国とも、17世紀、チベット人により建国された。チベットで1642年、チベット仏教・ダライラマ派が権力を握り、対立宗派の僧侶たちがヒマラヤ南麓に亡命し、国を興したのがシッキムとブータンである。シッキムはインドからチベットへの玄関口にあたる戦略的に重要な場所にあるため、19世紀にイギリスが進出し、1890年にシッキムを保護国とした。その後、インドに引き継がれ保護国になったが、ネパール人が75%を占め(イギリス保護国時代の茶葉栽培のための移民)、議会の議席を巡って争いが生じ、その機にインドが侵攻し、1975年インドに併合され消滅した。
ブータンは、17世紀、亡命チベット高僧が群雄割拠を制し建国したが、19世紀末、内戦状態にあったのをワンチュク一族が支配的郡長として台頭、1907年、ワンチュク家(現王朝)がラマ僧や住民に推され、初代世襲制国王に選出され、ブータン王国となった。
ブータン王国は、人口70万の小国でありながら、「幸せの国」として世界の注目を浴びている。日本でも、11月に国王夫妻が来日し、ブータン・ブームを引き起こした。第4代国王は、国民総生産(GNP)に対置される概念として、「国民総幸福量」(GNH:Gross National Happiness)という独自の考えを提唱。経済成長を過度に重視する考え方を見直し、伝統的な社会や文化、自然環境などにも十分な配慮を行い、“国民の幸福度”の最大化を目指すことを国のビジョンとしている。国民総幸福量(GNH)は国民総生産(GNP)より重要である、という哲学だ。家族やコミュニティを重視している。2005年の国勢調査では、国民の97%が「幸せ」と回答した。ブータンが世界の注目を浴びているのも、このGNH概念の故であろう。
一人当たりGDPは約2000㌦と案外高い。周辺のネパール526㌦、ミャンマー742㌦、インド1265㌦より格段に高い(表2参照)。中国チベット自治区と比べると若干低いが、購買力平価でみるとチベットを上回っている。国民の国王に対する敬愛の念も強く、国情は安定している。
表1 ヒマラヤ3国の概要
表2 購買力平価GDP(2010年)
ヒマラヤ3兄弟のうち、2王国が潰れた。そうした中で、なぜ、こういう国家が出来たのか。筆者の仮説は、ブータンは「ハーベイ・ロードの前提」(賢明な政府)が成立している国ということである。啓蒙君主、特に4代目国王(前国王)の“知力”がすごかった。
以下に述べるのは、歴史学者でも政治学者でもない、一介のエコノミストに過ぎないものの見方である。
2、ハーベイ・ロードの前提が成立か
ブータンは啓蒙君主に恵まれた。第3代国王(1952年即位)は、農奴解放、教育の普及等の制度改革を遂行し、近代化政策を開始した。建国ラマ僧たちの母国、ダライラマ法王支配下のチベットは農奴制が1959年まで続づいたが、ブータンの農奴解放は早かった。(ちなみに、ネパールは1921年廃止〈ただし現在も世襲的な債務奴隷が存在〉、ミャンマーは1929年廃止。米国リンカーン大統領の奴隷解放宣言は1865年)。
第4代国王(1972年~2006年)は、前国王の敷いた近代化、民主化路線を継承し、発展させるとともに、国家開発に意欲的に取り組んだ。一番の功績は、議会制民主主義の確立であろう。憲法を制定し(2005年憲法案発表)、総選挙を実施し、国民の意思で首相を選出する民主国家になった(初の総選挙は2008年3月)。絶対権力を持つ王様自身が言い出して民主化を進めたのである。政体は立憲君主制(国王65歳定年制)であり、議会は国王を罷免できる。もっとも、国王は法律を拒否できるので、強い力を持っている。
もう一つは、Happinessを強調する「国民総幸福量」概念を提唱した(1976年。72年説もある)。「幸福」で国の力や進歩を測ろうという考えだ(後述参照)。第3代国王が、発展のゴールは国民の「繁栄と幸福」と強調していたのを受け継ぎ、概念を練り上げたものである。1970年代という早い時期に、ポスト資本主義を模索する世界中が注目するビジョンを打ち出したのである。
「足るを知る」を教え、所得だけが人生の豊かさではないよと、国民に理解させることが出来れば、国家安泰だ。もし「所得倍増」計画だけを言うなら、実現しない場合、人心の離反が起き、王制の維持は難しい。仏教の教えが、最大の「安定装置」になっている。国王は純真に仏教の教えを説いたのであろうが、結果論的に言うと、「足るを知る」を基本にしたHappiness哲学は、為政者の大変な「知恵」である。ちなみに、僧侶の地位は高く、最高位の僧は同じ政庁の中に国王と共にいる。また、僧侶は公務員である。
ブータンは、小さい国なのに、地方分権も推進している(2002年以降)。そのほか、外交政策は非同盟中立と善隣友好だ。Happiness国家を演出しているのも、「幸せの国」を潰すと国際社会から非難を受けるので、どの国も侵略しにくい。スイスが「永世中立」を標榜していると、誰も攻めることが出来ない。ブータンがGNHを掲げるのも、そういう狙いもあるのではないか。「知恵」の塊を感じる。
こう見てくると、ブータンは世界各国の良いとこ取りを行っている。どうしてこのような国になったのであろうか。
◇危機意識が啓蒙君主を育てた
ブータンはヒマラヤ山脈の南麓にあり、北は中国、残る3面はインドに接している。世界で一番大きな国(13億人)と二番目に大きな国(10億人)に挟まれ、圧力を感じている。「併合」の危機を感じ、「平和ボケ」の余裕はない。しかも、隣国のシッキム王国は消滅し、ネパールも国情混乱から王制廃止になった。筆者は「ヒマラヤ3兄弟」と名付けたものの、そのうち2王国は滅びた。隣国衰亡の教訓と2大国に挟まれている地政学的条件が、ブータンの国家指導者に緊張感をもたらし、“啓蒙君主”に育てたのではないか。
筆者はシンガポールを想った。シンガポールは人口400万人の小国ながら、アジア随一の先進国だ。一人当たりGDPが4万ドルを超え、世界のトップ水準にある。一党独裁、開発独裁の国であり、政府介入の大きい国(社会主義の国みたい)であるにもかかわらず、経済発展した。産業構造政策をはじめ、時代を先取りした政府の政策が成功したからだ。賢明な政府であったということであろう。シンガポールは「ハーベイ・ロードの前提」(賢明な政府)が成立している稀有な例である。
賢明な政府の背景はマレーシアと人口2億の大国インドネシアに挟まれ、国をつぶされるという緊張感であろう。10年以上前、筆者はこのような仮説でシンガポールの発展を論じた(拙著『走るアジア遅れる日本』日本評論社2001年、第3章参照)。
ブータンも、シンガポールに似ている。隣国衰亡の教訓と2大国に挟まれている地政学的条件が、国王たちを賢明な指導者に育てた。政府高官たちも、その多くは、小さい頃から海外で教育を受けてきて、英語も堪能な、極めてグローバルな人たちだ。若手官僚の多くは海外の大学院の修士号を持っている。リーダーたちは「幸せ」を率先して楽しむのではなく、「幸せ」に浸っている国民を引っ張って献身的に働いているようだ。優秀なリーダーの存在が、今日のブータンの発展をもたらした。「ハーベイ・ロードの前提」が成立していると言えるのではないか。
3、インドとの特殊な関係
ブータンは、インドとの関係が非常に強い。かっては外交、国防等はインド政府の助言に従わなければならないという特殊な関係にあった(1947年条約、2007年変更)。経済分野でも非常に深い関係にある。ブータン経済は外国からの援助で成り立っているが、インドへの依存度が大きい。2008年度の政府の歳入規模は371億円であるが(1ヌルタム=1.8円)、自主財源は253億円(全体比68%)、インドからの助成金79億円(21.3%)、インド以外からの助成金39億円(11%)である。また、貿易も、ブータンの輸出の93%はインド向け、輸入の78%はインドからである。
道路や電気・通信等のインフラ整備はインドの援助によるところが大きい。パロ空港から首都ティンプーまで立派な自動車道が走っているが(約60㎞)、これもインドの援助である。道路建設はインドが金を出し、インドの企業が工事を引き受け、インド人労働者が工事現場で働いている。つまり、インドがブータンの国土を借りて公共事業を実施しているようなものだ。公共投資はインドの建設企業に収益をもたらし、インドの労働者の雇用所得を生んでいる。インドは援助した資金を全部回収し、損はない。ブータンは公共事業の場所を貸した見返りに、道路サービスを得たことになる。
ブータン人はブルーカラーの仕事はしない。首都ティンプーでは、いまアパートやホテルの建設ラッシュであるが、建設現場等で働いているのはほとんどインド人労働者である。オフィスや公衆トイレの掃除も、ほとんどインド人である。
ブータン経済は、インドからの援助で成り立っている。しかし、ブータン人はプライドが高く、3K労働の非熟練労働は忌避し、インド北部の貧しい地帯から来た人たちが担っている。インド北部より、ブータンの所得水準は高いからだ。表2に示したように、ブータンの一人当たりGDPはインドの約2倍も高い。
4、国民総幸福量GNHの最大化とGDP成長
先に見たように、ブータンの所得水準は案外高い。一人当たりGDPは約2000㌦である(現地訪問の実感からすると過大評価に思える)。第9次5か年計画(2002~08年)における実質成長率は年平均9%と高かった。水力発電による対インド売電が牽引したようだ。
産業は農業が基幹であるが、GDPに占める農業・鉱業の割合は30年前の60%から、2007年には20%に低下した。就業人口に占める農民の割合も1999年の75%から、2006年には63%に低下した。これに対し、近年は産業活動が増加し、第2次産業の建設と電力の伸びが大きい。第3次産業の観光業も成長分野だ。これからの経済成長も、ヒマラヤの傾斜を利用した水力発電と、自然・文化を生かした観光が主力産業となろう。ヒマラヤを眺めるトレッキング観光は魅力があろう。
経済開発は、ブータンの国家ビジョン「国民総幸福量」(GNH)と矛盾しない。GNHは4本の柱から構成されている。①持続可能で公平な社会経済開発、②環境保全、③文化の維持・促進、④良き統治、である。さらに詳細には9分野、72項目に亘る指標がある。
注意したいのは、古き良き社会を守るため、経済発展に反対しているわけではない。ブータンの国づくりが目指すものは、国民の幸福であって、社会経済発展はそれを実現するための一要素にしか過ぎない、という点である。経済発展を過度に重視する考え方を見直し、従来見落とされがちであった伝統的な社会や文化、自然環境などにも十分な配慮を払う 、ということだ。GNHはGNPよりも重要という開発哲学だ。
経済成長よりも「国民の幸福」を重視するのは、「足るを知る」ということであろう。チベット仏教の考えに根差しているという。第4代国王がこのGNH概念を提唱したのは、1976年という早い時期である。
ティンプーで、寺院に参拝した。われわれ日本人は、家内安全や、○○大学に合格するように、恋人が見つかるようにと、自分のことを祈る。ブータン人(チベット仏教)は、「みんなの幸せ」や「世界の平和」を祈願する。自分のことは祈願しないという。自分のことを祈願しても実現しない、そうなると気持ちが落ち込む、不幸な気分になるからだ。「幸せ上手」である。これこそ、仏の教えであろう。僧侶たちが大切にされるゆえんだ。
このGNHの下での象徴的な政策を上げると、・医療、教育の無料化、・地下資源採掘の抑制、・制限的な観光、・(高山)登山永久禁止条例(20余の高山が未踏峰)、・伝統的建築の維持(壁窓のデザイン規制)、・民族衣装(ゴ・キラ)の着用などがある。
環境保全と開発に関して象徴的な事例がある。地方電化計画で、オグロヅルが飛来しなくなると農民たちが反対し、一部地区で送電線施設を断念したことがある。ただし、その後、外国の配電線地下埋設支援で電化が実現した。技術革新が環境と近代化を両立させたのである。
◇社会変動期に入るブータン
1970年代という、まだ世界各国が経済成長のあくなき追求の時代に、ポスト資本主義とも見なされるこの開発哲学は提唱された。しかし、問題はこれからであろう。いま、ブータンは大きな社会変動期にある。若者の失業と所得格差が問題になってきた。急速な都市化が問題になっている。若者は首都ティンプーに集中してきた。ティンプーは世界で一番人口増加率が大きいとも言われている(現在10万人、5年前7万人)。自動車が激増して、ティンプーの市街地は道を横断するのが怖い。インタネットの普及も多い。加えて、隣国インドはめざましい経済発展の局面に入っている。周辺国との格差も出かねない。
クズネッツの逆U字型曲線仮説を待つまでもなく、どの国も、経済発展の初期段階では所得格差の拡大、環境の悪化が見られる。成長は伝統社会との相性も悪い。経済成長はGNH概念と矛盾を起こしやすい。ブータンはこの事態を乗り越えることが出来るであろうか。
「足るを知る」という仏教の教えに根差しているとはいえ、社会変動の大波がブータンにも押し寄せている。急激な近代化の波が襲っているわけで、閉鎖的な社会では維持されてきたGNH概念で、良き統治が維持可能なのであろうか。世界がブータンに注目しているのも、じつはこの点なのではないか。ブータンはHappinessの偉大な「実験国家」なのである。
先代の4代目国王は、2005年の建国記念日の集会で(当時50歳)、2008年に皇太子(当時25歳)に国王の座を譲位することを表明。実際にはそれを早めて2006年に退位し、当時26歳の現国王に譲位した。危機意識があったのではないか。啓蒙君主・4代目国王は時代の変化を読み、新しい時代への対応を適応力の高い若い後継者に期待したのではないか。ここに4代目国王の最大の「知力」が発揮されたように思う。社会変動期に入った今後、良き統治ができるかどうか、第5代・現国王の「知力」が問われることになろう。
5、青い空、澄んだ空気、きれいな水
ブータンの地を初めて踏んだのは11月下旬、パロ空港であった(海抜2300㍍)。首都ティンプー(海抜2400㍍)まで約60㎞は立派なハイウエイで、快適であった。日光の「いろは坂」に例える人もいる。2泊3日の旅の始まり。
青空が素晴らしかった。日差しが明るい。本当の青空とはどんな青空だろう。「基準色」はあるのだろうか。 青空で思うのは、北京の「晴空万里」。北京の青空はすごい(素晴らしい)という話を聞き、一番きれいといわれる秋の北京に行った(1990年代初めの10月)。確かに凄い青空だった。でも、少し怖かった。抜けるような青空で、青の色が濃ゆく、何だか吸い込まれていくような感じで、不安定な気分になった。これが「真っ青」という色なのかと、思った。最近でもそうだ。ブータンの青空は、真っ青だが、色が北京より淡い。やわらかくて安心感がある。なぜであろうか?。東京の青空と北京の青空の中間くらいの濃さの青空。そんな感じの青空だ。3日間、雲一つない真っ青な青空。11月から乾季である。
パロからティンプーまでの自動車道は、伊豆高原をドライブしているような気分であった。海抜2400㍍を走っているので、高山帯の森林限界を走っているようで、山は岩肌と針葉樹の灌木の光景である。眼下に流れる川の水もきれいだ。自然景観が素晴らしい。
首都ティンプーの市街地は小さい。街道筋の山間の宿場町という感じだ。街道筋に200㍍くらい、ホテルや商店が並んでいる。自動車も混んでいる(バイパスを造ってはどうか)。そこを抜けるとすぐ、高原に別荘が点在している景観に変わる。とても人口10万の都市という感じではない。
流れる川の水もきれいだ。しかし、飲めないという。高地でも牛やヤクの飼育を行っているので汚染されているらしい。飲料水はペットボトルである。ペットボトルのリサイクル工場もあった(浄水場を造ったほうがいいのでは?)。それでも、川の流れはきれいだった。
青い空、澄んだ空気、きれいな水。しかし、この清らかな自然は、天然のものではない。一時は汚れていたらしい。児童、学校、コミュニティから成るネイチャークラブの活動で清らかな自然がよみがえった。つまり、人々の自然保護の努力の賜物であった。コミュニティを巻き込んだことが清らかな自然の保全の最大の成功要因か。
21世紀に入った頃から、先進国ではコミュニティの重要性が再認識され始めたが、ブータンは最先端を行っていることになる。コミュニティ機能の弱体化した日本の自然保護の効果的な方法は何か。ちなみに、このネイチャークラブの活動を指導しているのはNGO「王立自然保護協会」(PSPN)である。日本経団連自然保護基金はこのNGOに資金援助している。ブータンの清らかな自然の保全に、日本が草の根で貢献しているのである。
筆者にとって、ブータンの感想は「清らかな自然」と「知力」がキーワードである。ブータンは、賢明な政府指導者たちの「知力」で国家を発展させてきた。2012年は世界各国で指導者の交代がある。北朝鮮はいち早く、突然変わった。中国も代わる。韓国、米国も大統領選がある。「知力」の優れたリーダーの誕生を期待したい。「悪の知力」は困るが。経済の安定と平和の構築に向けた「知力」が求められている。
日本は小泉内閣の後、短命内閣が続いた。「知力」を発揮する間もない短命だ。首相を支える官僚群の「知力」はどうか。ブータンを見て、国家運営における「知力」の重要性を考えさせられた。
Webサイト『みんなの株式』(記事コラム)2011年12月22日rr ブータン紀行
【著者】叶 芳和 2011年12月22日
ブータン紀行
‐HAPPINESS偉大な実験国家‐
ブータン・ブームが日本を駆け抜けた。来日した国王夫妻の魅力がその背景だが、じつは世界中がブータンに注目している。「国民総幸福量(GNH)はGNPより大切である」という国家開発ビジョンが注目を浴びている。「国民総幸福量」の最大化を目指しているが、経済発展も重視しており、一人当たりGDPは2000㌦、周辺諸国より格段に高い。なぜ、こういう国家が出来たのか。
今回のブータン行は、経団連自然保護協議会の視察ミッションに参加したものである。
1、ヒマラヤ3兄弟
ブータン王国はヒマラヤ山脈の南麓に位置する人口70万人の小国である。かってはヒマラヤ南麓に3つの王国があった。ネパール、シッキム、ブータンである。シッキム王国は消滅し(1975年インドに併合)、ネパールは2001年に王族殺害事件、そして2008年に王制廃止になった。いま健在なのはブータン王国だけである。
シッキムとブータンは、兄弟みたいな国である。両王国とも、17世紀、チベット人により建国された。チベットで1642年、チベット仏教・ダライラマ派が権力を握り、対立宗派の僧侶たちがヒマラヤ南麓に亡命し、国を興したのがシッキムとブータンである。シッキムはインドからチベットへの玄関口にあたる戦略的に重要な場所にあるため、19世紀にイギリスが進出し、1890年にシッキムを保護国とした。その後、インドに引き継がれ保護国になったが、ネパール人が75%を占め(イギリス保護国時代の茶葉栽培のための移民)、議会の議席を巡って争いが生じ、その機にインドが侵攻し、1975年インドに併合され消滅した。
ブータンは、17世紀、亡命チベット高僧が群雄割拠を制し建国したが、19世紀末、内戦状態にあったのをワンチュク一族が支配的郡長として台頭、1907年、ワンチュク家(現王朝)がラマ僧や住民に推され、初代世襲制国王に選出され、ブータン王国となった。
ブータン王国は、人口70万の小国でありながら、「幸せの国」として世界の注目を浴びている。日本でも、11月に国王夫妻が来日し、ブータン・ブームを引き起こした。第4代国王は、国民総生産(GNP)に対置される概念として、「国民総幸福量」(GNH:Gross National Happiness)という独自の考えを提唱。経済成長を過度に重視する考え方を見直し、伝統的な社会や文化、自然環境などにも十分な配慮を行い、“国民の幸福度”の最大化を目指すことを国のビジョンとしている。国民総幸福量(GNH)は国民総生産(GNP)より重要である、という哲学だ。家族やコミュニティを重視している。2005年の国勢調査では、国民の97%が「幸せ」と回答した。ブータンが世界の注目を浴びているのも、このGNH概念の故であろう。
一人当たりGDPは約2000㌦と案外高い。周辺のネパール526㌦、ミャンマー742㌦、インド1265㌦より格段に高い(表2参照)。中国チベット自治区と比べると若干低いが、購買力平価でみるとチベットを上回っている。国民の国王に対する敬愛の念も強く、国情は安定している。
表1 ヒマラヤ3国の概要
表2 購買力平価GDP(2010年)
ヒマラヤ3兄弟のうち、2王国が潰れた。そうした中で、なぜ、こういう国家が出来たのか。筆者の仮説は、ブータンは「ハーベイ・ロードの前提」(賢明な政府)が成立している国ということである。啓蒙君主、特に4代目国王(前国王)の“知力”がすごかった。
以下に述べるのは、歴史学者でも政治学者でもない、一介のエコノミストに過ぎないものの見方である。
2、ハーベイ・ロードの前提が成立か
ブータンは啓蒙君主に恵まれた。第3代国王(1952年即位)は、農奴解放、教育の普及等の制度改革を遂行し、近代化政策を開始した。建国ラマ僧たちの母国、ダライラマ法王支配下のチベットは農奴制が1959年まで続づいたが、ブータンの農奴解放は早かった。(ちなみに、ネパールは1921年廃止〈ただし現在も世襲的な債務奴隷が存在〉、ミャンマーは1929年廃止。米国リンカーン大統領の奴隷解放宣言は1865年)。
第4代国王(1972年~2006年)は、前国王の敷いた近代化、民主化路線を継承し、発展させるとともに、国家開発に意欲的に取り組んだ。一番の功績は、議会制民主主義の確立であろう。憲法を制定し(2005年憲法案発表)、総選挙を実施し、国民の意思で首相を選出する民主国家になった(初の総選挙は2008年3月)。絶対権力を持つ王様自身が言い出して民主化を進めたのである。政体は立憲君主制(国王65歳定年制)であり、議会は国王を罷免できる。もっとも、国王は法律を拒否できるので、強い力を持っている。
もう一つは、Happinessを強調する「国民総幸福量」概念を提唱した(1976年。72年説もある)。「幸福」で国の力や進歩を測ろうという考えだ(後述参照)。第3代国王が、発展のゴールは国民の「繁栄と幸福」と強調していたのを受け継ぎ、概念を練り上げたものである。1970年代という早い時期に、ポスト資本主義を模索する世界中が注目するビジョンを打ち出したのである。
「足るを知る」を教え、所得だけが人生の豊かさではないよと、国民に理解させることが出来れば、国家安泰だ。もし「所得倍増」計画だけを言うなら、実現しない場合、人心の離反が起き、王制の維持は難しい。仏教の教えが、最大の「安定装置」になっている。国王は純真に仏教の教えを説いたのであろうが、結果論的に言うと、「足るを知る」を基本にしたHappiness哲学は、為政者の大変な「知恵」である。ちなみに、僧侶の地位は高く、最高位の僧は同じ政庁の中に国王と共にいる。また、僧侶は公務員である。
ブータンは、小さい国なのに、地方分権も推進している(2002年以降)。そのほか、外交政策は非同盟中立と善隣友好だ。Happiness国家を演出しているのも、「幸せの国」を潰すと国際社会から非難を受けるので、どの国も侵略しにくい。スイスが「永世中立」を標榜していると、誰も攻めることが出来ない。ブータンがGNHを掲げるのも、そういう狙いもあるのではないか。「知恵」の塊を感じる。
こう見てくると、ブータンは世界各国の良いとこ取りを行っている。どうしてこのような国になったのであろうか。
◇危機意識が啓蒙君主を育てた
ブータンはヒマラヤ山脈の南麓にあり、北は中国、残る3面はインドに接している。世界で一番大きな国(13億人)と二番目に大きな国(10億人)に挟まれ、圧力を感じている。「併合」の危機を感じ、「平和ボケ」の余裕はない。しかも、隣国のシッキム王国は消滅し、ネパールも国情混乱から王制廃止になった。筆者は「ヒマラヤ3兄弟」と名付けたものの、そのうち2王国は滅びた。隣国衰亡の教訓と2大国に挟まれている地政学的条件が、ブータンの国家指導者に緊張感をもたらし、“啓蒙君主”に育てたのではないか。
筆者はシンガポールを想った。シンガポールは人口400万人の小国ながら、アジア随一の先進国だ。一人当たりGDPが4万ドルを超え、世界のトップ水準にある。一党独裁、開発独裁の国であり、政府介入の大きい国(社会主義の国みたい)であるにもかかわらず、経済発展した。産業構造政策をはじめ、時代を先取りした政府の政策が成功したからだ。賢明な政府であったということであろう。シンガポールは「ハーベイ・ロードの前提」(賢明な政府)が成立している稀有な例である。
賢明な政府の背景はマレーシアと人口2億の大国インドネシアに挟まれ、国をつぶされるという緊張感であろう。10年以上前、筆者はこのような仮説でシンガポールの発展を論じた(拙著『走るアジア遅れる日本』日本評論社2001年、第3章参照)。
ブータンも、シンガポールに似ている。隣国衰亡の教訓と2大国に挟まれている地政学的条件が、国王たちを賢明な指導者に育てた。政府高官たちも、その多くは、小さい頃から海外で教育を受けてきて、英語も堪能な、極めてグローバルな人たちだ。若手官僚の多くは海外の大学院の修士号を持っている。リーダーたちは「幸せ」を率先して楽しむのではなく、「幸せ」に浸っている国民を引っ張って献身的に働いているようだ。優秀なリーダーの存在が、今日のブータンの発展をもたらした。「ハーベイ・ロードの前提」が成立していると言えるのではないか。
3、インドとの特殊な関係
ブータンは、インドとの関係が非常に強い。かっては外交、国防等はインド政府の助言に従わなければならないという特殊な関係にあった(1947年条約、2007年変更)。経済分野でも非常に深い関係にある。ブータン経済は外国からの援助で成り立っているが、インドへの依存度が大きい。2008年度の政府の歳入規模は371億円であるが(1ヌルタム=1.8円)、自主財源は253億円(全体比68%)、インドからの助成金79億円(21.3%)、インド以外からの助成金39億円(11%)である。また、貿易も、ブータンの輸出の93%はインド向け、輸入の78%はインドからである。
道路や電気・通信等のインフラ整備はインドの援助によるところが大きい。パロ空港から首都ティンプーまで立派な自動車道が走っているが(約60㎞)、これもインドの援助である。道路建設はインドが金を出し、インドの企業が工事を引き受け、インド人労働者が工事現場で働いている。つまり、インドがブータンの国土を借りて公共事業を実施しているようなものだ。公共投資はインドの建設企業に収益をもたらし、インドの労働者の雇用所得を生んでいる。インドは援助した資金を全部回収し、損はない。ブータンは公共事業の場所を貸した見返りに、道路サービスを得たことになる。
ブータン人はブルーカラーの仕事はしない。首都ティンプーでは、いまアパートやホテルの建設ラッシュであるが、建設現場等で働いているのはほとんどインド人労働者である。オフィスや公衆トイレの掃除も、ほとんどインド人である。
ブータン経済は、インドからの援助で成り立っている。しかし、ブータン人はプライドが高く、3K労働の非熟練労働は忌避し、インド北部の貧しい地帯から来た人たちが担っている。インド北部より、ブータンの所得水準は高いからだ。表2に示したように、ブータンの一人当たりGDPはインドの約2倍も高い。
4、国民総幸福量GNHの最大化とGDP成長
先に見たように、ブータンの所得水準は案外高い。一人当たりGDPは約2000㌦である(現地訪問の実感からすると過大評価に思える)。第9次5か年計画(2002~08年)における実質成長率は年平均9%と高かった。水力発電による対インド売電が牽引したようだ。
産業は農業が基幹であるが、GDPに占める農業・鉱業の割合は30年前の60%から、2007年には20%に低下した。就業人口に占める農民の割合も1999年の75%から、2006年には63%に低下した。これに対し、近年は産業活動が増加し、第2次産業の建設と電力の伸びが大きい。第3次産業の観光業も成長分野だ。これからの経済成長も、ヒマラヤの傾斜を利用した水力発電と、自然・文化を生かした観光が主力産業となろう。ヒマラヤを眺めるトレッキング観光は魅力があろう。
経済開発は、ブータンの国家ビジョン「国民総幸福量」(GNH)と矛盾しない。GNHは4本の柱から構成されている。①持続可能で公平な社会経済開発、②環境保全、③文化の維持・促進、④良き統治、である。さらに詳細には9分野、72項目に亘る指標がある。
注意したいのは、古き良き社会を守るため、経済発展に反対しているわけではない。ブータンの国づくりが目指すものは、国民の幸福であって、社会経済発展はそれを実現するための一要素にしか過ぎない、という点である。経済発展を過度に重視する考え方を見直し、従来見落とされがちであった伝統的な社会や文化、自然環境などにも十分な配慮を払う 、ということだ。GNHはGNPよりも重要という開発哲学だ。
経済成長よりも「国民の幸福」を重視するのは、「足るを知る」ということであろう。チベット仏教の考えに根差しているという。第4代国王がこのGNH概念を提唱したのは、1976年という早い時期である。
ティンプーで、寺院に参拝した。われわれ日本人は、家内安全や、○○大学に合格するように、恋人が見つかるようにと、自分のことを祈る。ブータン人(チベット仏教)は、「みんなの幸せ」や「世界の平和」を祈願する。自分のことは祈願しないという。自分のことを祈願しても実現しない、そうなると気持ちが落ち込む、不幸な気分になるからだ。「幸せ上手」である。これこそ、仏の教えであろう。僧侶たちが大切にされるゆえんだ。
このGNHの下での象徴的な政策を上げると、・医療、教育の無料化、・地下資源採掘の抑制、・制限的な観光、・(高山)登山永久禁止条例(20余の高山が未踏峰)、・伝統的建築の維持(壁窓のデザイン規制)、・民族衣装(ゴ・キラ)の着用などがある。
環境保全と開発に関して象徴的な事例がある。地方電化計画で、オグロヅルが飛来しなくなると農民たちが反対し、一部地区で送電線施設を断念したことがある。ただし、その後、外国の配電線地下埋設支援で電化が実現した。技術革新が環境と近代化を両立させたのである。
◇社会変動期に入るブータン
1970年代という、まだ世界各国が経済成長のあくなき追求の時代に、ポスト資本主義とも見なされるこの開発哲学は提唱された。しかし、問題はこれからであろう。いま、ブータンは大きな社会変動期にある。若者の失業と所得格差が問題になってきた。急速な都市化が問題になっている。若者は首都ティンプーに集中してきた。ティンプーは世界で一番人口増加率が大きいとも言われている(現在10万人、5年前7万人)。自動車が激増して、ティンプーの市街地は道を横断するのが怖い。インタネットの普及も多い。加えて、隣国インドはめざましい経済発展の局面に入っている。周辺国との格差も出かねない。
クズネッツの逆U字型曲線仮説を待つまでもなく、どの国も、経済発展の初期段階では所得格差の拡大、環境の悪化が見られる。成長は伝統社会との相性も悪い。経済成長はGNH概念と矛盾を起こしやすい。ブータンはこの事態を乗り越えることが出来るであろうか。
「足るを知る」という仏教の教えに根差しているとはいえ、社会変動の大波がブータンにも押し寄せている。急激な近代化の波が襲っているわけで、閉鎖的な社会では維持されてきたGNH概念で、良き統治が維持可能なのであろうか。世界がブータンに注目しているのも、じつはこの点なのではないか。ブータンはHappinessの偉大な「実験国家」なのである。
先代の4代目国王は、2005年の建国記念日の集会で(当時50歳)、2008年に皇太子(当時25歳)に国王の座を譲位することを表明。実際にはそれを早めて2006年に退位し、当時26歳の現国王に譲位した。危機意識があったのではないか。啓蒙君主・4代目国王は時代の変化を読み、新しい時代への対応を適応力の高い若い後継者に期待したのではないか。ここに4代目国王の最大の「知力」が発揮されたように思う。社会変動期に入った今後、良き統治ができるかどうか、第5代・現国王の「知力」が問われることになろう。
5、青い空、澄んだ空気、きれいな水
ブータンの地を初めて踏んだのは11月下旬、パロ空港であった(海抜2300㍍)。首都ティンプー(海抜2400㍍)まで約60㎞は立派なハイウエイで、快適であった。日光の「いろは坂」に例える人もいる。2泊3日の旅の始まり。
青空が素晴らしかった。日差しが明るい。本当の青空とはどんな青空だろう。「基準色」はあるのだろうか。 青空で思うのは、北京の「晴空万里」。北京の青空はすごい(素晴らしい)という話を聞き、一番きれいといわれる秋の北京に行った(1990年代初めの10月)。確かに凄い青空だった。でも、少し怖かった。抜けるような青空で、青の色が濃ゆく、何だか吸い込まれていくような感じで、不安定な気分になった。これが「真っ青」という色なのかと、思った。最近でもそうだ。ブータンの青空は、真っ青だが、色が北京より淡い。やわらかくて安心感がある。なぜであろうか?。東京の青空と北京の青空の中間くらいの濃さの青空。そんな感じの青空だ。3日間、雲一つない真っ青な青空。11月から乾季である。
パロからティンプーまでの自動車道は、伊豆高原をドライブしているような気分であった。海抜2400㍍を走っているので、高山帯の森林限界を走っているようで、山は岩肌と針葉樹の灌木の光景である。眼下に流れる川の水もきれいだ。自然景観が素晴らしい。
首都ティンプーの市街地は小さい。街道筋の山間の宿場町という感じだ。街道筋に200㍍くらい、ホテルや商店が並んでいる。自動車も混んでいる(バイパスを造ってはどうか)。そこを抜けるとすぐ、高原に別荘が点在している景観に変わる。とても人口10万の都市という感じではない。
流れる川の水もきれいだ。しかし、飲めないという。高地でも牛やヤクの飼育を行っているので汚染されているらしい。飲料水はペットボトルである。ペットボトルのリサイクル工場もあった(浄水場を造ったほうがいいのでは?)。それでも、川の流れはきれいだった。
青い空、澄んだ空気、きれいな水。しかし、この清らかな自然は、天然のものではない。一時は汚れていたらしい。児童、学校、コミュニティから成るネイチャークラブの活動で清らかな自然がよみがえった。つまり、人々の自然保護の努力の賜物であった。コミュニティを巻き込んだことが清らかな自然の保全の最大の成功要因か。
21世紀に入った頃から、先進国ではコミュニティの重要性が再認識され始めたが、ブータンは最先端を行っていることになる。コミュニティ機能の弱体化した日本の自然保護の効果的な方法は何か。ちなみに、このネイチャークラブの活動を指導しているのはNGO「王立自然保護協会」(PSPN)である。日本経団連自然保護基金はこのNGOに資金援助している。ブータンの清らかな自然の保全に、日本が草の根で貢献しているのである。
筆者にとって、ブータンの感想は「清らかな自然」と「知力」がキーワードである。ブータンは、賢明な政府指導者たちの「知力」で国家を発展させてきた。2012年は世界各国で指導者の交代がある。北朝鮮はいち早く、突然変わった。中国も代わる。韓国、米国も大統領選がある。「知力」の優れたリーダーの誕生を期待したい。「悪の知力」は困るが。経済の安定と平和の構築に向けた「知力」が求められている。
日本は小泉内閣の後、短命内閣が続いた。「知力」を発揮する間もない短命だ。首相を支える官僚群の「知力」はどうか。ブータンを見て、国家運営における「知力」の重要性を考えさせられた。